熊本復興と藩校弘道館
2017年06月05日
今日の佐賀市営バスブログは、コチラの場所から
熊本城
昨年4月、甚大な被害となった熊本地震。
熊本が誇る熊本城も被災し、熊本地震の被害の大きさを伝えています。
崩壊した石垣
西の丸北側の石垣も崩落しました。
天守閣の屋根瓦は崩落し、鯱も失われました。
熊本城の全体の再建は20年以上かかると言われていますが、復興のシンボルとして、3年以内での天守閣(大天守)の再建を目指されています
熊本をはじめ、全国各地の地震により被災地となられている地域の復興を心よりお祈りしています。
さて、話題は200年以上前の江戸時代にさかのぼります。
当時の佐賀藩は、財政難で苦しみ、事業も行き詰まっていました。
第8代佐賀藩主の鍋島治茂(はるしげ)公は、繁栄している熊本藩の取り組みを参考にしようと、石井鶴山(かくざん)公を熊本へ出張に行かせます
鍋島治茂公は、佐賀の七賢人のひとり鍋島直正公のおじいさんです
石井鶴山公は、熊本城西の丸にあった藩校時習館で熊本の高い教育レベルを目にします
時習館跡から天守閣までの道は、現在、熊本地震により写真のように封鎖されています
佐賀に帰った石井鶴山公は、鍋島治茂公に対し、「熊本が繁栄している理由は教育にあり、佐賀も教育に力を入れるべきです。」と報告します
報告を受けた鍋島治茂公は、古賀精里公と石井鶴山公に藩校の設立を命じます

こうして、佐賀に藩校弘道館が開校しました


記念碑が、佐賀県庁前の徴古館と佐賀中央郵便局の間にあります

記念碑の写真の左下に白い建物が見えますが、日本初の熱気球の常設ミュージアム佐賀バルーンミュージアムです

藩校弘道館を巣立った多くの若者たちが、製鉄、造船などにおいて、佐賀を日本最高の技術力を誇る地域に押し上げただけでなく、法律や統治機構を整備し、鉄道などのインフラを整え、日本を先進国に導いたことは、みなさんご存じのとおりです


藩校弘道館記念碑までバスを利用される場合は、バス停#025 県庁前で下車となります

佐賀駅バスセンター3番のりばから出発しているバスのすべてが停車します

1日平均200本以上のバスが運行していますので、大変便利です

また、佐賀駅から、まっすぐ佐賀県庁まで通じる中央大通り沿いの唐人町、白山、中の小路の各エリアには、先程、ご紹介した徴古館、佐賀バルーンミュージアムをはじめ、おしゃれなお店がたくさんあります

のんびり、ぶらぶら散策するのも楽しいですよ


佐賀藩 藩校ラインナップ


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