懐かしの市営バス~昭和40年代ブルーライン編Ⅲ~
ワンマン化は約10年かけて路線ごとに実施されました(路線名は旧名称)
・昭和41年4月 川上線
・昭和42年8月 犬井道線
・昭和43年10月 東与賀線、貫通線
・昭和44年7月 柳川線
・昭和45年2月 早津江線
・昭和45年10月 金立線
・昭和46年2月 川久保線、広江線
・昭和46年9月 市内線、二俣線、陸運事務所線、道崎線
・昭和47年3月 中折線、中島線
・昭和48年3月 蓮池線、兵庫線
・昭和49年7月 神埼線、池川線、鍋島線
・昭和50年3月 日の隈線
昭和51年には若楠国体や佐賀駅高架移転に伴う佐賀駅バスセンター開業が予定されていたため、それまでに完了するよう計画されていたのかもしれません。
526号車 いすゞ BU04D 川崎車体 昭和50年式
ブルーライン最終型のバス―――
左後方は昭和58年度まで建っていた旧交通局舎
ところで、ひと口にワンマン化と言っても、
車掌が乗務していた時代を体験していない方にはピンこないと思います。
そういう私もワンマンバスの時代しか知らないので実際のところはわかりません。
そこで、ベテラン職員に聞いた当時の話をもとに
ワンマン化で何がどうなったのか考えてみたいと思います。
今日は、ワンマン化になる前の車掌の仕事をみていきます。
車掌の主な仕事は
・乗客への切符販売や切符切り。降りる人からの切符回収。
・扉の開閉や車内の安全確認
・停車バス停での案内(「このバスは○○行きです。」など)
・乗客へのバス停案内(「次は○○です。お降りの方はいらっしゃいませんか?」など)
・降車の有無の確認と運転士への伝達(ボタンと肉声で)
・踏切でバスを降車しての誘導や回転場、車庫でバックする時の誘導 など
バスが移動手段の主役だった当時は超満員で運行することも多く、
扉が閉められず車掌が扉代わりになったり、バスに置いていかれたりしたことも・・・
満員時は切符販売や切符切りが追いつかないくらいの忙しさだったそうです。
≪当時の車掌が使用していた車掌鞄と切符鋏≫
車掌鞄は同じ仕様で作り直したものをリムジンバスの添乗員が今でも使用しています。
切符鋏は市営バスでは丸穴型でした。
このように
車掌(CONDUCTOR)は運転士と連携して
安全安心なバスの運行を支える重要な役割を担っていました。
いつの日か機会があれば「復刻カラーバス」に約50年ぶりに車掌を復活させて
「復刻車掌バス」を走らせたいですね
もっと つ・づ・く
俺よりがばい奴に会いに行く
今回の話題は、
STREET FIGHTER 佐賀です
格闘ゲームの代名詞である「ストリートファイターⅡ」と佐賀県がコラボしました
ゲームキャラクターの「サガット」が「佐賀ット」として、佐賀の観光大使に
就任し、佐賀の魅力を紹介してくれています
そして、サガットが店長を務める「佐賀ット商店」が銀座にオープンし
ここでしか買えない限定コラボグッズの販売が行われました。
コラボグッズの詳細はコチラ
ただ、1月22日(月)~28日(日)の期間限定のオープンで、しかも銀座に
行かないと買えませんでした
しかし、銀座は遠くて行けなかった佐賀在住の方に朗報です
限定コラボグッズが佐賀で買えるようになります
販売場所は、佐賀バルーンミュージアム内 佐賀工房さんです
販売期間は、2月13日(火)~3月31日(土)です
バルーンミュージアムの観覧料は
大人500円/小中高生200円/小学生未満無料ですが、
年間パスポート 大人1,000円/小中高生400円も販売しています
年2回以上行く方には、オススメですね
この機会にぜひ限定コラボグッズをゲットしましょう
個人的には、ブラックモンブランカがほしいです
本日夕方、えびすFMに生出演します!~佐賀市営バスのCOOL CHOICE~
おはようございます
本日の佐賀市営バスブログは、番組出演のお知らせです
本日(1月29日(月))夕方5時から、佐賀市の街なかエスプラッツにありますえびすFM89.6 に、佐賀市交通局職員が生出演しますよー
えびすFMさんはコチラ
エイブル・オン・ラジオやさが酒ラジオなど、人気の番組が絶賛放送中の市民参加型の地域密着のラジオ局です
えびすFMホームページ
生出演するのは、このえびすFMさんの 毎週月曜午後5時~午後6時に放送されています わたしのCOOL CHOICE です
パーソナリティは、よしのがり牟田さん、橋本辰夫さんです
ところで、皆さん、COOL CHOICE をご存じでしょうか
COOL CHOICE とは、環境省が推進する地球温暖化対策のキーワード
なかなか減らない温室効果ガス排出量を減らし、未来を変えるためには、ひとりひとりの意識と行動を変えていかなければなりません
実は、私たちが今すぐできることが、身近にたくさんあります
たとえば、省エネで長寿命のLED照明に切り替えたり、夏に打ち水をしたり、車の運転のアクセルを優しく、ふんわり踏んだり・・・etc
もちろん、温室効果ガス排出量の少ない交通手段のバスや電車を利用することも、COOL CHOICE です
COOL CHOICEホームページ
そして、佐賀市営バスにおいても、様々なCOOL CHOICE を実践しています
まずは、使用済み天ぷら油で走行しているバスが5台あります
この使用済み天ぷら油は、各家庭で使用された天ぷら油をスーパーマーケットや公民館にある回収ボックスに、市民の皆さんから無償で提供されたものを再活用しています
次に、バス停にLED照明を設置しています
太陽光を使って、蓄電した電気を夜間照明に活用しています
平成29年度は、6箇所のバス停にLED照明を設置しました
そのひとつが、コチラの写真です
バス停#120 昭和橋
バス停の上屋(屋根)の右側に付いているものです
そして、皆さんご存じの交通系ICカードnimocaのサービス開始です
バスに乗車する際は、乗車口横に設置している整理券ボックスから整理券を1枚取る必要がありますが、交通系ICカードでは、整理券を1枚取る必要がありません
交通系ICカードによるバス利用促進は、ペーパーレス社会を推進していくことにもつながります
このような様々な 佐賀市営バスのCOOL CHOICE を番組でお話したいと思いますので、本日夕方5時から1時間、えびすFM 89.6にチャンネルを合わせて、ご清聴くださいね
寒波、緩みそう?
本日も、寒波ネタですが
な・なんと関東・東京地方では48年ぶりの大寒波が来ているみたいですが、佐賀平野部ではお日様が顔を出してくれてます
これは、11日の佐賀地方平野部でうっすらと雪化粧の一枚ですが
これくらいの雪でも、私たち市営バス的には雪が降りそうな路線 や 橋を通過する路線等では利用者の安全確保や運行できる状態かどうか道路状況を路線点検します。
今日(26日)の佐賀が誇る雄大な天山の様子です
山間部においてはご覧のとおりですが、平野部での積雪は見られなかったので通常運行が望めると思います・・・
寒い中、利用者の皆様には大変お待たせをして、ご迷惑を掛けております
道路状況に伴う遅延も生じておりますが
運転士も安心・安全に定時運行ができるようにガンバッテいますのでご理解ください。
寒波到来!準備はぬかりなく!
佐賀市内では積雪で交通機関が麻痺することはめったにありませんが、ちょうど2年前の平成28年1月25日(月)は、10年に一度といわれる大寒波による雪の影響で、ほとんどの交通機関が始発便から運休しました。
【2年前の市役所前南公園】
佐賀市営バスでは、その日は全車タイヤチェーンを装着して、全路線始発便から運行しました。路線によっては1時間程度の遅延が発生したところもありましたが、いつもより多くのお客様に乗車いただき、また感謝のお言葉もたくさん頂いたことを思い出しました。
今冬は、まだタイヤチェーンを装着するほどの積雪はありませんが、積雪の予報が出ると、気象台に問い合わせたり、タイヤチェーンの準備をしたり、電話対応要員の手配や運行情報の発信など、何かとあわただしくなりますが、これも安心安全な輸送サービスには必要なことです。
まだまだ、寒い日が続きそうです。
何事も「備えあれば憂いなし」で、安全のための準備を怠らないように心がけています。
懐かしの市営バス~昭和40年代ブルーライン編Ⅱ~
佐賀市の平野部では心配された雪の影響はありませんでしたが寒い1日となりそうです
防寒対策は万全に...
さて
今日は前回紹介したブルーラインの市営バスについて
改めて昭和40年~昭和50年頃の写真で振り返ってみます
まずは約50年前のこの1枚から
<昭和40年代の車庫>
ちょうど今頃の季節でしょうか? 路面にはうっすらと雪が積もっています
車庫の周りの風景も今とは随分違いますね
<昭和47年頃の旧佐賀駅前>
この頃の市営バスのりばは駅の正面東側
南部方面行きのバスはここが始発地でした
<昭和50年代初期の市営バス車庫>
同じカラーの市営バスが整然と並ぶ姿は壮観ですね
何となくバスがジオラマっぽく見えませんか?
こうして見ると
多くのバスがブルーラインに置き換わっているのがわかります
どうしてこの時期だけブルーラインを入れる必要があったのか・・・?
それには理由がありました
ブルーラインを採用していた時期とほぼ同じくして
市営バスで起きていたある出来事と関係があったのです
その出来事とは・・・
昭和41年から昭和50年にかけて進めていた
乗合バスのワンマン化です
ワンマン化により、車掌が同乗して行っていた業務を
運転士の兼務や車載機器で行うことになりました
バスの乗り方もそれまでとは大きく変わることになったので
利用者にひと目で分かるように
ワンマン仕様で導入したバスにブルーラインを入れたのです
また、ブルーラインの入っていないワンマンバスには
<昭和45年頃/中央大通り・県庁前停留所>
バスの前面に方向幕より大きな「ワンマン」表示が付けられていました
(「ワンマン」の下には乗り方案内も書かれています)
ちなみに市営バスでは
ワンマン移行当初は「前乗り前降り」でしたが
昭和42年以降順次、現在のような「中乗り前降り」に変わっていきました
写真の様子からすると
このバスは「前乗り前降り」だったようです
「ツーマン」から「ワンマン」へ
そして 「前乗り前降り」から「中乗り前降り」へ
ワンマン化によって目まぐるしく変わる乗合バスの環境の変化は
市営バスにとっても、利用者にとっても、
現在のICカード化以上にインパクトの大きい出来事だったに違いありません
さらに つ・づ・く
動物にちなんだバス停~バス停ブログ2周年~
おはようございます
一昨年の1月12日から始めたバス停ブログ
おかげさまで、2周年を迎えました
2年間でご紹介したバス停の数は116に上ります
1年前の今頃も、1周年をご紹介したところです
バス停#117 犬尾
佐賀市の蓮池(はすいけ)方面に向かう 蓮池・橋津線の沿線上にあります
蓮池地区は佐賀市営バスブログで、たびたびご紹介したエリアですね
ちなみに、犬といえば・・・
バス停#28 犬井道 を以前、ご紹介していますね
円盤のバスマークが超レアな横向きバージョンの
バス停#118 牛島下(うしじましも)
巨勢(こせ)地区の道崎方面に向かう今宿・道崎線の沿線上にあります
中世の時代から、巨勢荘牛島村と言われ、現在も佐賀市巨勢町大字牛島というエリアになります
ちなみに、牛島上(うしじまかみ)というバス停もありましたが、平成25年4月1日のダイヤ改正で廃止されました
そして、最後に、鳥
佐賀県の鳥といえば・・・かささぎですよね
佐賀では、カチガラスとも言います
サガン鳥栖のマスコットキャラクター、ウィントスも かささぎ がモデルです
その かささぎ にちなんだ
バス停#119 かささぎの里
久保泉(くぼいずみ)地区にある久保泉工業団地方面に向かう兵庫・久保泉工業団地線の沿線上にあります
障がいのある方の就労支援を行うかささぎの里の施設の前にあるバス停です
社会福祉法人かささぎ福祉会 かささぎの里は、佐賀市役所本庁舎の地下1階で食事処を営業されています
佐賀名物のシシリアンライスをはじめ、定食、丼など、色々なメニューがあります
佐賀市役所本庁舎にご用の際は、ぜひ、食事処かささぎに、お立ち寄りください
そして、先週、木曜日の佐賀市営バスブログでご紹介しましたが、「バス停のある風景の写真コンテスト」、皆さんも、ぜひ、ぜひ、ご応募くださいねー
バス停のある風景の写真コンテスト
なが~い名前♪
今週はやや暖かい1週間でしたね
しか~し
来週からはまた大寒波の影響で冷える予想...
またしても雪予報が出ています
現在シベリア周辺では氷点下65度を記録しているとのこと...
冷凍庫ですら-20度なのに もう考えられない世界ですね
そんなシベリアも夏場は30度近くまで上昇することをご存知でしたか??
ダブルで驚きです
今日は368ある佐賀市営バスのバス停名(バス停自体は上り、下りなどありますので、約700程あります)のなかで、もっとも長いバス停をご紹介します
それは、、、
#116 JA佐賀市せいぶ支所前
名前が、バス停の円盤にギュウギュウ詰めですネ
しかも、このバス停名は、名前にアルファベットと漢字とひらがなの3種類入っているのが特徴です
ちなみに、日本一長い名前のバス停は何でしょうねー
皆さん、よかったら調べてみてください
まだまだ知らないバスネタがあるかも~
バス停のある風景写真コンテスト
テレビCMも流されてますね
コンセプトは
バスに関連した企画ですので、バス業界全体の活性化につながればと
市営バスも期待そして感謝しています
佐賀県内では約3,000箇所だそうですが、
市営バスのバス停は約700箇所あります
当ブログに掲載した写真の中からいくつか紹介します
《大野バス停》
赤いベンチが Oh~No~!!
《唐人町バス停》
歴史を感じさせるバス停で風情があります
《昇開橋》
土日祝日運行のぐるっと世界遺産観光バスのみ停車しています
応募期限は平成30年2月28日です
みなさまドンドン応募してくださいね
詳しくは専用HPでご確認ください。
「バス停のある風景」写真コンテストHP
懐かしの市営バス~昭和40年代ブルーライン編Ⅰ~
今回のテーマは遡って昭和40年代です
まずは昭和50年代のこのバスから
535号車 <いすゞ BU04D 川重車体 昭和51年>
復刻バスで採用した旧カラーリングの市営バス
多くの方にとって、昔の市営バスのイメージはこのカラーではないでしょうか
元々は昭和30年頃から採用しているカラーリングをベースにしたものです
276号車 <昭和30年代>
281号車 <昭和30年代>
最終的には昭和57年度の導入車まで続く最も歴史の長いカラーリングです
312号車 <昭和40年代初期/左後方は旧局舎・右後方は現局舎>
この頃は車掌が乗務していたので中扉が「出入口」になっています
しかし、「昭和40年~昭和50年」に導入された「330番~530番くらい」の乗合バスには、知る人ぞ知る、ある特徴を持った別バージョンが存在していたのです
そのバスは
520号車 <いすゞ BA20 昭和48年>
違いがわかりますか?
527号車 <日野 RE100 昭和50年>
その特徴とは・・・
528号車 <日産 U20H 富士重工 昭和50年>
ボディ中央部のブルーラインです
このブルーラインのバス
なぜか昭和51年以降の導入車からは忽然と姿を消し元の姿に戻ります
532号車 <いすゞ BU04D 川重車体 昭和51年>
単なるイメージチェンジか、はたまた別の理由があるのか・・・?
つ・づ・く